あなたは「ぼっち飯」できますか?

最近では「お一人様」といった言葉も定着し、以前よりは一人でご飯を食べることに対するハードルは下がったようにも思えます。しかし、それでもなお、ぼっち飯に対して大きな抵抗を感じてしまう人は多いのではないでしょうか?


この動画は、なぜ私たちが「ぼっち飯」に心理的な抵抗を感じてしまうのかについて説明し、その解決策を示してくれるものです。これを見終わった後には、ぼっち飯なんて朝飯前になっているかもしれません。

 

仕事終わりに「ぼっち飯」ができるところを探すあなた。

しかし店の中は家族やカップルで溢れており、なかなか居心地の良さそうなところが見つけられません。

 

その中の1つに勇気を出して飛び込んでみても…

 

…恥ずかしい

 

「やっぱりやめた!」

ウェイターが来る前に扉を閉めて…

 

コンビニで買ったサンドイッチを、ハトと一緒に公園で頬張ります。

このように、多くの人にとって賑わっている店内での「ぼっち飯」は耐え難いものです。


しかし、私たちの中には「ぼっち飯」に全く苦痛を感じない人も存在しています。その心理的な「違い」の正体は一体何なのでしょうか?その正体を知るためには、私たちが「産まれたとき」にまで時を遡る必要があります。

 

私たちは、誰しもが産まれた瞬間は無力であり、自分一人の力で「安全」や「安心」を得ることはできません。

 

そして、母親をはじめとした「他者」からの愛情を受けることで、孤独な状況においても生きていける安心感を自らの中に内在させていきます。

 

ぼっち飯」が平気な人は、幼少期に大きな愛情を受けて育った人であることが考えられます。つまり、彼らが一人でも料理をオーダーできるのは、自分が誰かから常に愛されており、この世界に存在する権利を持っていると心から思えているからなのです。

 

そのような安心感があれば、人は他者が自分に対して何を思っているのかが気にならなくなります。

 

しかし、当然ながらすべての人がそのような安心感を得ることができているわけではありません。

「心のブランケット」が存在していない人にとっては、人々の笑い声が、あなたをあざける声に聞こえてしまうでしょう。

 

そのような人の場合、他ならぬ「自分」が、自分自身の存在を肯定してあげなければなりません。これまでに、他の誰もしてくれなかったのですから当然です。

 

しかし、あなたがどのようなバックグラウンドを持っていたとしても、私たちはある「1つの事実」をもっと意識すべきです。

それは、いかに「人が他者に対して興味を持っていないか」ということです。

 

他のテーブルではジョークや仕事の話が飛び交っており、誰もあなたのことなど気にしていません。

つまり、あなたをあざける声は、他者ではなく「あなた自身」が自分の頭の中で響かせているだけなのです。

 

そして、「孤独」は決してネガティブなことではありません。一時的に仲間の輪から外れることは、あなたが自分自身の内面と向き合うことができる機会であり、それは、いつも安いおしゃべりで盛り上がっている人たちが持つことのない「特権」であると言えます。

 

そんな「特権」を上手に使った人物として、20世紀のアメリカの画家であるエドワード・ホッパーが挙げられます。彼は自身の作品の中で「孤独」を深く表現した人物です。

 

その代表作である「Automat(オートマット)」には、深く自らと向き合う孤独な女性が描かれています。しかし、そこに同情の気持ちは生まれません。むしろ一緒に座って会話を楽しみたいと思ってしまうほどです。

 

しかし、どれだけ孤独を肯定したとしても、「ぼっち飯」に対する恐怖心が消えない人もいるでしょう。

 

そんなときは想像力を働かせてみましょう。

あなたは一人ではありません。同じ悩みを抱えて生きている人は世の中にたくさん存在しているのです。

 

そして、あなたや彼らは決してみじめなわけではありません。少し人の輪から離れて自分自身と向き合うことで、より自分を高めるためのプロセスを体験しているだけのことなのですから。

 

読み込んでいます…

 

「一人が好き」なのは内向的ではなく、実は「自律傾向が高い人」だった

 

via: laughingsquid / translated & text by なかしー

 

なぜ人は「ぼっち飯」に心理的な抵抗を感じてしまうのか?


(出典 news.nicovideo.jp)


<このニュースへのネットの反応>

転職して10年くらい昼飯はボッチ飯だが何も感じないぞ。両親が他界してるから家でも長いことボッチ飯なのもあるが、飯も作業の一部みたいな感じでルーチンで食ってるようなもの。人間が食わないで済む生物なら食事時間をゲームにでも充てたいくらいだわ。


食事じゃないけど、ぼっち用プランが無い旅行代理店きらい


自分含め世の中の大半が「知らないおじさん」なんだから周りなんて気にならないよ


レストランに1人で入るのと「ぼっち飯」は違うような気がする


大丈夫。 誰もあなたを気にはしていない。 勿論、僕をもね...


ぼっち飯に抵抗があったのなんて大学を出て新社会人になった直後の1〜2ヶ月くらいだけだな。車で外回りしてて初めて1人でファミレス入った時に「うわ、、俺1人でファミレス入っちまった!」と思ったのを強烈に覚えてるけどすぐに何も思わなくなった。単に慣れの問題じゃないんかね?今じゃ家族連れで賑わう焼肉とか回転寿司とかも余裕で1人で行けるけどな。


ぼっちは全然だが磯〇とかの酒が出る店にメシ食うために入るのは抵抗あるな…


人類はもともと集団性のある生き物だし、一つの獲物、収穫を分け合って食してきた生き物だから、ある程度本能的な抵抗感があるのかも知れない。けれども、自分が今食している何かも、見知らぬ誰かと分け合って食べているものだという認識があれば、あるいは。


ぼっち遊園地とかぼっちレジャーが流行ってるくらいなんだからソロでの飲食なんて屁みたいなもんだろ


カウンター席がもっと増えないかな、一人でテーブル席を占拠するのは気が引ける。


食べることに集中したいし、そうじゃない場合は考え事するのに丁度いい時間でもあるから一人の方が好きなんだけど。食べるペースも合わせなくちゃならないし、学生時代から食事だけは誘われるの嫌だったな


一人飯?社会人になれば普通やで


一人でゆっくり自分のペースで食べるのがすき。


モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず 自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ 独りで静かで豊かで・・・


飯の時くらい一人にさせて


一人で何かすることを否定するような風潮の方がおかしいだけだろ。大勢でワイワイやることはbetter(より楽しい)かもしれないが、must(必須)ではあるまいに。


基本は誰も気にしていない。そんな君を異常に気にして、耐え切れなくなって指をさして笑う人がいたとしたら、そいつのほうが不審者だ


食事するときぐらいほっとけ。


(精神的な意味合い)口が寂しいから、抵抗を感じる。以上


モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず 自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ 独りで静かで豊かで……





んー、ぼっち飯もだいぶできるようになってきたけど、居酒屋とか焼肉とかは流石に行けんなー…

食べたい気持ちはあるんだけど。